古来から、文字を書くのはもちろん、紙幣や書籍、障子や襖などの建具、衣服にまで使われ、日本の暮らしに寄り添ってきた和紙。その用途は広く、現代の生活にも様々な形で取り入れることができます。
例えば、やわらかな光を灯す照明器具やデザイナーズ文具、吸湿性の高いインテリア用品など、和紙ならではの魅力を活かした多彩なアイテムが発信されています。色も風合いも多彩な土佐和紙の世界を、身近なところから取り入れてみてはいかがでしょうか。
残念ながら、現在土佐和紙の工房は減少しつつあります。しかし、たしかな技術は職人の手から手へ受け継がれ、アートやインテリアなど和紙の新しい楽しみ方も生まれています。
そんな土佐和紙の一番の特徴とも言えるのが、薄い紙、厚い紙、しなやかな紙、色鮮やかな紙など、様々な個性の紙を手漉きできる技術。その多彩さから、ちぎり絵などのハンドクラフトに用いて楽しむ人も多いそうです。
染色作家 小高良作さん
伝統的な手漉き技法で紙を作っている、小高さん(上記写真)。染色やドローイングなど和紙を用いた様々な表現に挑戦し、国内外で支持を得ているアーティストです。
幼少時より、家族の影響でアートや染色に造詣の深かった小高さんが、本格的に創作活動をはじめたのは25歳の頃。前職の関係で海外へ赴いた際に、試しに発表した布や和紙を染めた作品が大きな反響を呼びました。
2001年、作品に土佐和紙を使っていたことをきっかけに土佐清水市へ移住。2005年頃から作品に使う紙を自ら漉くようになったと言います。
そんな彼が現在、多くの作品に用いているのが「墨流し」。水面に染料を流して模様を作り、それを和紙で写し取る染色技法です。
一生かけて作品を作り続けたいという思いから、自ら紙を漉くばかりでなく、紙すきの道具作りも行うという小高さん。伝統の手漉き和紙と独自の染色芸術がつくる新しい世界は、土佐和紙の新しい可能性を予感させます。
福井の越前和紙や岐阜の美濃和紙と並び、日本を代表する和紙の1つに数えられる「土佐和紙」。豊かな山々と清流に恵まれた高知県での紙づくりの歴史は古く、約1100年前の「延喜式(えんぎしき)」にすでに記述が見られます。
江戸初期には色とりどりの「土佐七色紙」が山内一豊から徳川家へ献上され、和紙は土佐藩の重要な産物となっていきました。
江戸末期から明治には、和紙を世界に広めた偉人・吉井源太が活躍。土佐紙の生産は黄金期を迎え、タイプライター用の複写紙などが海外でも大ヒットをおさめました。
現代では工房や職人の数は減少しつつありますが、土佐和紙の品質の高さは文化財修復やアートの分野でも重用されており、世界で愛されて続けています。
吉井 源太
江戸末期から明治にかけて、生涯を土佐紙業の発展にささげ「土佐紙業界の恩人」あるいは「紙聖(しせい)」とまで称された人物。
なかでも彼が完成させた「土佐の大桁(おおげた)」と呼ばれる大型簀桁(すげた)は画期的な紙すき器で、紙の品質を損なうことなく従来の2、3倍の量を漉くことを可能にしました。これにより生産量は飛躍的に向上し、土佐紙業界の急速な発展に貢献しました。
さらに典具帖紙(てんぐじょうし)を改良し、より薄くて強い新しい紙を開発。折しもタイプライターの普及で世界が良質な紙を求めた時代、薄く丈夫な土佐和紙は重要な輸出品としても貢献しました。
紙質の改良にも取り組み、生涯で発明した新製品は二十八種類にも及びます。さらに吉井は技術を土佐だけにとどめるのを良しとせず、他の産地にも伝え、和紙の可能性を拡大していきました。その思いの詰まった土佐和紙は、現代もわたしたちの暮らしに生かされています。
多彩な土佐和紙の中で特に有名なのが国指定の無形文化財「土佐典具帖紙(とさてんぐじょうし)」です。カゲロウの羽と呼ばれる薄さに丈夫さを兼ね備え、吉井源太の時代にはインク文字を圧写する「コッピー紙」とともに人気を博しました。現在も美術品や文化財の修復に欠かせない紙として世界から需要のある逸品です。
TOSAWASHI PRODUCTS
今回、取材にご協力いただいたのは、吉井源太のふるさとにある「いの町紙の博物館」。和紙や土佐和紙の歴史とその変遷を辿りながら、土佐和紙ができあがるまでの工程、和紙がどのように使わ れ、どのような役割を果たしてきたのか、展示物を交えながら紹介している施設です。さらに手すき実演・体験コーナー、販売コーナーなど、実際に手を触れ楽しめるコーナーも豊富。
展示室は、文化活動の発表の場や国際的な展覧会など、企画展・特別展を随時開 催しています。ホームページからは手紙や文具、日用品の購入も可能です。
土佐和紙を使った包装、クリアファイル、扇子、おりがみやオーダーメイド和紙製品まで取り扱う専門店。
モリサのWebショップ(Lady Risa)では、包装紙、袋、和雑貨を扱い1つから購入できます。